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彼には、何の縁故もないその男が医者としての自分をたよつて来たのが何よりうれしかつた。あの男はおれの一番最初の患者と云つてもいゝ位だ。それがありがたいことにうまく行つたのだ。何しろ、寄生虫にはやく気がついてよかつた。あんな風だと、前に大石医院で診察をうけていたのかもしれない。塔の山と云ふのはたしか下の半里ばかりの所から山に入つたあたりだつた、――さう考へているうちに房一はふと昨夜往診をたのまれたことを思ひ出した。
「さあ、知らん」
「ほう、クレーといふのはカワラケのことかね」
暑さはもうなかつたが、生温いぬくもりが時々顔を打つた。房一は空腹を覚えた。それにぼんやりとした疲労があつた。道平が卒倒してからは、まだ一週間になるかならぬかであつた。だのに、もう半年も前から、こんな気忙きぜはしい状態がつゞいているやうに思はれた。
「先づそのうちには、町内の様子もいろいろお解りになることでせう。これでなかなか面倒なこともありましてな」
「何でもないぢやないかね、君から聞いたとほりだ。心配することはないと思ふな」
「えゝ、まだですが――何か御用?」
「あの人はつまりこんな風な人なんだわ。こんな風に――」
房一はいくらかつんぼの道平の耳に口を寄せて、大声で云つた。
「どういふことです、わたしにはさつぱり――」
「おう、これか」
「さうです。農林学校の先生だとかをしていられると聞きましたが」
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